松本清張記念館
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松本清張について 松本清張年譜
全力で駆け抜けた巨人 松本清張
松本清張年譜

元号 西暦 年齢 事跡
明治42年 (1909)   12月21日、福岡県企救郡板櫃村(現、北九州市小倉北区)で出生。
父・峯太郎、母・タニ。
 
大正5年 (1916) 7歳 下関市立菁莪尋常小学校入学。
6年 (1917) 8歳 一家は小倉市に移り、天神島尋常小学校に転校。
13年 (1924) 15歳 板櫃尋常高等小学校(現、清水小学校)卒業。
川北電気株式会社小倉出張所の給士に採用される。月給11円。
 
昭和3年 (1928) 19歳 小倉の高崎印刷所に見習いとして就職。
4年 (1929) 20歳 文学仲間のプロレタリア雑誌講読の余波から、小倉署に“アカ狩り”で検挙され、十数日間留置される。
8年 (1933) 24歳 福岡市の島井オフセット印刷所で、半年間版下工の修業。
12年 (1937) 28歳 朝日新聞九州支社の広告版下を手がける。(14年広告部嘱託、15年常勤嘱託)
18年 (1943) 34歳 正社員となる。10月から3ヶ月間、教育召集により入隊。
19年 (1944) 35歳 6月、臨時召集により再度入隊。
20年 (1945) 36歳 敗戦を朝鮮全羅北道井邑で迎え、10月復員。
25年 (1950) 41歳 『週刊朝日』の“百万人の小説”に応募した「西郷札」が三等入選。
26年 (1951) 42歳 全国観光ポスター公募に応じた「天草へ」が次席の推選賞。
27年 (1952) 43歳 「或る『小倉日記』伝」を『三田文学』に発表。日本宣伝美術協会(日宣美)の九州地区委員を務める。
28年 (1953) 44歳 「或る『小倉日記』伝」が第28回(27年度下半期)芥川賞を受賞。12月朝日新聞東京本社に転勤。
29年 (1954) 45歳 家族を東京に呼び寄せる。練馬区関町の家は6畳1間と4畳半2間に8人家族が住んだ。
31年 (1956) 47歳 朝日新聞社退社。日本文芸家協会会員となる。
32年 (1957) 48歳 練馬区石神井に居を移す。雑誌『旅』に「点と線」を連載。
33年 (1958) 49歳 「点と線」「眼の壁」の単行本がベストセラーになり、社会派推理小説ブームおこる。
35年 (1960) 51歳 「文藝春秋」に「日本の黒い霧」連載。“黒い霧”は流行語となった。
36年 (1961) 52歳 国税庁発表の60年度所得額で作家部門1位となる。杉並区高井戸に自宅新築。直木賞選考委員となる。
38年 (1963) 54歳 「日本の黒い霧」「深層海流」「現代官僚論」などの業績により、第5回日本ジャーナリスト会議賞受賞。
42年 (1967) 58歳 「昭和史発掘」「花氷」「逃亡」などの作品と幅広い作家活動に対して、第1回吉川英治文学賞受賞。
45年 (1970) 61歳 「昭和史発掘」を軸とする意欲的な創作活動により第18回菊池寛賞授賞。
46年 (1971) 62歳 日本推理作家協会会長に就任(1974年まで)。
53年 (1978) 69歳 放送文化の向上に功績があったとして、第29回NHK放送文化賞受賞。
 
平成2年 (1990) 81歳 社会派推理小説の創始、現代史発掘など多年にわたる幅広い作家活動によって、89年度朝日賞受賞。
4年 (1992)   8月4日死去。(享年82歳)


 
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